2016年6月28日
6月25日 今日は神戸市北区、加古川市、高砂市に会館をお持ちの葬儀社様へ訪問させて頂きました。
神戸市北区へは姫路市から1時間、加古川市へは20分程度の距離です。
家財整理、遺品整理、生前整理、特殊清掃など、レリック関西支店のサービスについてご案内をさせて頂きました。
支店長様のお話しによると、片手間に遺品整理を行っている業者はトラブルが多いそうで、レリックのように専門で遺品整理を行なっている業者が好ましいとの事でした。?
すでに他の業者様とお付き合いはあるそうですが、前向きにご検討して頂けるとのお返事を頂きました。
■神戸市北区の特徴
神戸市中心部が人口収納能力に限界であったため、後背地を合併して兵庫区に編入され、1973年(昭和48年)8月1日に兵庫区から人口増加のために分区された。分区当初の人口は116,739人であったが、神戸電鉄の沿線に沿って古くからベッドタウン化が著しく、人口増加が長期にわたって続いたため現在の人口は分区当初の約2倍に達し、神戸市では西区に次いで人口が多い。
面積は神戸市全体の約44%を占めるが、面積のほとんどが農村・山林であり、神戸市の区の中では人口密度が最も低い[1]。特に北部の旧有馬郡および淡河町の地域は北神と呼ばれる。
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?■加古川市の特徴
兵庫県の播磨地方の東側に位置している。加古川市はその播州地方の東側の中核をなす市である。
1950年10月1日の第7回国勢調査では97,515人であったが、その後は神戸市・姫路市のベッドタウンとして発展してきた。大阪市までは電車で約50分(加古川駅から新快速使用・日中時間帯基準)の距離にあるため、右肩上がりに増え続け、1955年10月1日の国勢調査では100,414人で10万人超え、更に志方町編入前の第12回国勢調査では183,280人であり、20万人近くを付ける勢いになった。志方町編入後の最初の1980年10月1日の第13回国勢調査では212,333人であり、1995年10月1日の第16回国勢調査では現在の人口と同じぐらいの260,507人と26万人を超えた。その後は微増し続け、2005年10月1日の第18回国勢調査では267,100人あったが、2006年の住民基本台帳によると267,089人になっており、市制施行以来の初の減少を迎えた。その後はまた増えたが、2010年10月1日の第19回国勢調査では初の減少となる266,889人を記録したものの、その後も微増を続けている。
加古川の名物に「かつめし」と「鹿児のもち」がある。
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JR西日本の山陽本線(JR神戸線)と加古川線、そして山陽電鉄の本線が通っている。市街地は加古川町一帯(JR加古川駅周辺)、平岡町一帯(JR東加古川駅周辺)、別府町一帯(山陽別府駅周辺)に発展しており、人口も3町中心とする南部に集中。マンションが林立し、重化学工業地帯や大型量販店の激戦区となっている南部と、農村風景が残るのどかな雰囲気の北部とで全く違う景観が楽しめる二面性のある都市。また臨海部の金沢町は全域が神戸製鋼所の加古川製鉄所の敷地であるため、人口0人の町になっている。播磨平野の東部に位置し市域は全体的に平坦である。隣接する高砂市・加古郡播磨町・稲美町とは旧加古郡・印南郡内の市町としてつながりが深く、一体の都市圏を構成している。また、交通の便がよく、神戸市・姫路市のベッドタウンとして発展してきた。大阪市までは電車で約50分(加古川駅から新快速使用・日中時間帯基準)の距離にある。なお、神戸市への通勤率は12.0%である。
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■高砂市の特徴
高砂市(たかさごし)は、人口93,901人、面積34km2の『郷土に学び 未来を拓く 生活文化都市 高砂 市民がつくる活力とやさしさ育む交流のまち』を標語・キャッチフレーズとする地域です。
加古川に接した工業都市。漁業や採石業も盛んであり、これらは古い歴史を持つ。市内南部を中心に神社が多く、播州の秋祭りと総称される祭礼が知られる。
市内各所で多くの古墳が確認されており、市内の山から切り出されたものと考えられる石棺も出土している。同質の凝灰岩製石棺は畿内各地に流通したとみられ、奈良県の見瀬丸山古墳や大阪府の墓山古墳でも出土している。
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